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〈歴史を背負って生きる 21〉闘いのバトン

振り返れば、在日朝鮮女性1、2世たちの日々は常に闘いと共にあった。解放直後の女性解放運動から様々な諸権利獲得運動、祖国統一めざす闘い、朝鮮学校を守る運動…。彼女たちの幼少から青春期は、日本の朝鮮支配・…

〈歴史を背負って生きる 18〉学校を守る苦闘(上)

人間はどこに住んでいても、自分たちの言葉、親から受け継いだ母国語で、教育を受ける権利が保障されなければならない。ではなぜ、日本社会では、この当たり前の民族教育が保障されないのだろうか。それは、日本の政…

〈歴史を背負って生きる 17〉キムチ細腕奮闘記(下)

パッモゴンナ/誰彼となくいう/ハルモニの口癖/学校にも行けず/字も知らず/ただこの一言に愛を込めた/子どもの頃/食べるものがなく/お腹を空かせて泣きじゃくった日々が/骨身に染み/辛くて悲しいことは2度…

〈歴史を背負って生きる 16〉キムチ細腕奮闘記(中)

節くれ立った手の指が、12歳から働き通しだった人生を無言のうちに物語る。韓福順さん、 87歳。「お大師さん」の名で親しまれる東京・足立区の西新井大師の近所で、朝鮮漬物店の大きな看板を掲げた「興福商店」…

〈歴史を背負って生きる 15〉キムチ細腕奮闘記(上)

一昔前の朝鮮人差別の代名詞と言えば「キムチ臭い」とか、「にんにく臭い」だった。植民地時代はもとより解放後も在日同胞はどれほど悔しい思いを胸に秘めてきただろうか。 日本でキムチファンが急速に広がったのは…

〈歴史を背負って生きる 14〉現代史に翻弄され/「海女のリャンさん」死去

朝鮮半島の北と南、日本と離れ離れになった息子、娘との絆を守り続けた元海女の梁義憲さんが、3月22日、亡くなった。98歳。解放前、済州島から日本に渡り、70歳まで海女を続け、育てあげた7人の子どもたち。…

〈歴史を背負って生きる 13〉祖国の土に(下)

高五生さんは「韓国併合」の11年後に、済州島で6人兄弟の長女として生まれた。同胞たちから温厚な人柄を愛された高さんだが、その陰には壮絶な人生との格闘があった。 日本の植民地支配によって土地を失って没落…