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〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 67〉女性の文字生活の一端を示す

夢枕に母が立ち 薛(ソル)氏夫人(1429~1508)は司直(正五品の武官)薛伯民(ソル・ベクミン)の娘であり、歸來亭(クィレジョン)申末舟(シン・マルチュ)の貞夫人である。 申末舟(1429~150…

〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 64〉死んでも二心は抱かず

王に抗い夫を追う―都彌の妻 信頼のきずな 夫婦の絆の強さを伝える説話は数多くあるが、百済の都彌(トミ)の妻の説話は三国史記に列伝として伝わり、朝鮮王朝時代の女子教育書「三綱行實圖」 や現代の小説、ミュ…

〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 63〉無意識に強要された「烈女」の生き方―銀娥

指を切断し夫の棺に  儒学者がこぞって絶賛 「銀娥(ウナ)の意志と思考は清く明るく、品性は美しく温和、婦女子がやるべきことを学ばずともよくこなした」(娥志慮清明、性質和婉、女職事事、不學亦能。「龜峯集…

〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 62〉訓民正音制定に貢献

「竹山安氏大同譜」に記録ー貞懿公主 暦算に長けた聡明な姫君 朝鮮王朝実録成宗76巻、8年丁酉(1477)2月11日付には以下の記録がある。 「貞懿公主が亡くなった。公主は世宗の娘であり、延昌尉(ヨンチ…

〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 61〉死が照らす士大夫の偽善

義には軽重があるー桂月 二通の遺書 朝鮮王朝時代のある夏の日、家族総出で畑の草取りをしている間に2通の遺書を残し自死した女性がいた。その遺書は母と夫に宛てたものだった。

〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 60〉嫁はまるで士人ー徳恩府夫人宋氏

貴婦人の鑑と称され 墓碑銘と祭文に記録 朝鮮王朝時代の女性たちは明らかに存在したにもかかわらず、その痕跡が詳らかにならず意図的に無視され、時の中に埋没していることが多い。例外的な場合はあるが、多くがそ…

〈続・朝鮮史を駆け抜けた女性たち 59〉端宗の母―顯德王后 權氏

怨霊となり息子の仇を討つ? 世祖の夢に現れ 顯德(ヒョンドク)王后 權(クォン)氏(1418.4.17~1441.8.10)は、息子を殺し王位を簒奪した夫の弟を、怨霊となりあの世から呪い続けた王妃とし…