〈コッソンイ・繋 -統一への思い咲かせ―〉私の名前は○○○/洪知鈴さん(2007年、東大阪中級・中3)


4.24教育闘争73周年に際して南朝鮮で出版された「コッソンイ」第3集「私たちは統一に走って行きます」には、1982年から2019年までの「コッソンイ」作文コンクール(主催=朝鮮新報社)入選作品のうち「統一」をテーマにした作品52編が収録されている。在日朝鮮児童らが時代ごとに描いた「統一」を、本紙編集局の日本語訳で紹介する。

私には名前が3つある。「朝鮮名」は「チリョン」、「韓国名」は「チヨン」、そして「日本名」は「ちすず」だ。

名前が3つもあることで、混乱したことが何回もある。「名前は何?」と聞かれたら(「チリョン」と答えたら呼ぶのが難しそうだから、「ちすず」と言おうか?…)という考えが頭をめぐったりする。

はじめて塾に通ったときには、「名前は何?」という質問に「ホン・チリョンです」と答えると、周りはすぐに聞き取れず「ホンチギョ?!」「ホンチリョ?!」「ホンチリ?!」とみんなは何回も私の名前を確認した。

(私の名前ってそんなに複雑?「ちすず」という名前は日本名だし…私の名前って、いったい何だろう?)

私は日本で暮らす。でも朝鮮学校でウリマルを学ぶ。でも国籍は「韓国」… 顔は「日本」? 名前は「朝鮮」? それとも「韓国」?…(いったい、私はどこの国の人だろう?)そう考えるときがある。

私はこれから、どの国の国旗を持ち、どの国の国歌を歌えばいいだろう? 日本で暮らすから「君が代」? 違う、私はウリハッキョに通いウリマルを習うから朝鮮の国歌である「애국가」を歌おう。でも、私の国籍は「韓国」だから…

そんな私の素朴な疑問と悩みを解決してくれるとてもうれしい日が訪れた。金正日総書記と盧武鉉大統領が平壌で会い、会談することになったのだ。

7年前にも金正日総書記と金大中大統領が平壌で会い、6・15共同宣言を発表し、全世界を驚かせた。でも、そのとき私はまだ初級部2年生だったので、何がなんだかわからなかった。同胞たちが涙を流しながら喜んでいるな、私のハラボジとハルモニのお餅屋さんがある「朝鮮市場」に日本のマスコミがたくさん来て、同胞たちが踊りながら喜ぶ姿がテレビでたくさん流れていたな、というくらいしか記憶に残っていない。

そして2007年、ついに感激のその日がきた。

イラスト=沈恵淑

2回目の北南首脳会談… 私は7年前とは比べものにならないくらい体も心も大きくなった。私は大きな期待と関心をもってテレビのニュースを見た。運動会の翌日で学校が休みだったのが本当に幸いだった。私は朝から一日中、テレビに釘付けとなり、日本のニュースと南朝鮮のニュースを食い入るように見守った。

その日のニュースでは、金正日総書記と盧武鉉大統領が平壌市民から盛大な歓迎を受けながら、肩を並べて歩く姿が流された。私はそれを見た瞬間、全身に鳥肌が立つくらいに感動し、無意識のうちにテレビの前で拍手をしながら喜んでいた。

どんなに待ちわびた日だろう。2000年、6・15共同宣言が発表され「わが民族同士」というスローガンのもと、どれだけ多くの交流が実現しただろう。そのおかげで、私のハラボジ、ハルモニも堂々と故郷を訪問できたし、私も故郷の地を訪ね先祖たちのお墓の前でお辞儀をすることもできた。

(こんな日をまたテレビで見られて私はどんなに幸せだろう…)

私はテレビを見ながらそう感じた。「6・15」のおかげで祖国が分断して50数年ぶりに西海線と東海線がつながり、統一列車が軍事境界線を越えて北と南を行き来した5月17日がまるで昨日のことのようなのに、それからわずか数カ月後の今日、今度は北南の首脳がまた会うなんて、どんなにうれしいことだろう。

でも、じっとテレビを見ているうちに、南朝鮮のニュースと日本のニュースがあまりにも違うことに気付いた。南朝鮮のニュースは喜びや称賛であふれていたのに、日本のニュースは「おそらく今回の会談は失敗に終わるだろう」と報道していたのだ。

私は怒りがこみ上げ、我慢できなかった。このニュースは日本全国に流れるのに、祝福もせずになぜそんな悪いことばかり言えるのだろう。私はさっきまでの喜びと感激を忘れるほどの憤りを感じた。

「なぜ?」

わが民族同士手を取り合うことが、そんなにいけないことなのか? もともとウリナラはひとつで、分断という悲しい歴史に終止符を打つために、境界線を消し去るためにこうやって会って会談しているのに、なぜそんな偏見に満ちた悪質な報道をできるのだろう! こんなニュースを見た人は、いったい何を感じるだろう? いい感情をもつはずがない。

私は考えてみた。もし自分が日本学校に通い、「ちすず」という名前で生活していたなら、このニュースを見て間違っていると気付けるだろうか? いや、絶対に気付けなかったはずだ。日本に暮らしながらもウリハッキョに通い、ウリマルや歴史を学ぶから、日本のニュースの悪質さに気がつけるのだ。

私は気付いた。民族教育のありがたさに! 民族教育は私に正しいことと間違っていることを判断できる「目」と、民族の心を育ててくれたのだ。

私はこの日、しっかりと肝に銘じた。私の名前は「ホン・チリョン」、ただひとつしかないことを!

わたしは統一した祖国の旗をふり、統一した祖国の国歌を歌いながら「私の名前はホン・チリョンです!」といつどこでも堂々と語りながら生きていくだろう。

民族教育を受けながら芽生えた自分の民族に対するプライドをこれからも胸に刻み、祖国統一を一日も早く成し遂げるために力強く歩んでいきたい。