〈明日につなげる―無償化裁判がもたらしたもの―〉弁護士たちの思い・愛知


未来拓く、「希望」という糧

愛知無償化裁判は、昨年9月2日に最高裁が原告側の上告を棄却したことにより終結を迎えた。無償化裁判という経験そして課題について、愛知弁護団に携わる弁護士たちの声を紹介する。(まとめ・韓賢珠)

愛知無償化裁判は、昨年9月2日に最高裁が原告側の上告を棄却したことにより終結を迎えた。(写真は2審判決があった2019年10月3日の入廷行進)

裵明玉弁護士

地裁、高裁、最高裁と敗訴判決を突き付けられる過程で、この社会のなかで私たちが朝鮮人として生きていく、ただ民族性を大切にするだけでなく、ウリハッキョを卒業しこれから子どもをウリハッキョに送る親として生きていく途に、横たわる困難の大きさを突き付けられた。けど一方で、私は弁護団や支援者の方々を通じて、これからも朝鮮学校とともに歩んでくれるかけがえのない仲間たちに出会えた。この運動を担った同胞たちもそうだろう。この闘いを走りぬいたからこそ出来た絆があり、そこには確固たる「希望」がある。

弁護士になり、4.24阪神教育闘争などについて改めて勉強する機会があった。学生時代に習ったときは、輝かしい歴史のイメージがあったが歴史書で読むと、全国的には閉鎖に追い込まれ一時的に学校がなくなった。でも私を含め後の世代は、結果的に負けたということよりも、当時ものすごく大きな闘いをしたということを記憶として引き継いでいる。そしてその記憶を引き継げるのは、その後の世代が闘いを続けてきたからだ。

負けたからと闘いを終えれば歴史にも負けが刻印される、でもその後、学校を再建し各種学校認可を勝ち取り今に至る。だからあの時の闘いに意義があったと振り返ることができる。高校無償化をはじめ昨今の在日朝鮮人をとりまく人権擁護運動もまた、「希望」を糧にそのような闘いを継続していかなければならない。

内河惠一弁護士

朝鮮高校無償化問題の背景には、明治以降わが国の、特にアジアにおける歴史に正しく向き合う認識の著しい欠如とその歴史を正しく学ぶ「教育の不在」が存在する。同じ日本社会に住む子ども達への教育支援において、朝鮮高校生に対して驚くべき差別を平然と敢行する政治とそうした国の政策を違和感なく(?)受け入れていく日本社会の風潮は、「理性」の世界というより、明治以降深く植え付けられた皇民化教育にその根っこがあるように思われる。こうした事態を大きく転換させるためには、正しい歴史の学習と、アジア・世界との平和友好への熱い思い、何よりも国の正しい平和・人権政策が求められる。

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