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〈明日につなげる―無償化裁判がもたらしたもの―〉愛知弁護団(上)

2021年07月15日 09:00 主要ニュース 民族教育

「覚悟」を決めた闘い

横断幕を掲げ名古屋地裁に向かう愛知朝鮮学園関係者と弁護士ら(2013年1月24日)

2013年1月24日、高校無償化から朝鮮高校が除外されたことを受けて始まった各地の裁判で、その先頭を切ったのが愛知と大阪だった。とりわけ愛知での訴訟は、国を相手に現役の朝高生が初めて原告に立ったことで当時大きな反響を呼んだ。同裁判は、2018年4月27日の1審で原告敗訴、翌年10月3日の2審判決でも原告敗訴の不当判決が下った。そして裁判開始から約7年半後の2020年9月2日、最高裁は、自らの尊厳をかけた原告たちの闘いに、「上告棄却」という主文をもって終止符を打たせた。

東海の「ウリ弁護士」

愛知で弁護団が結成されたのは、2011年4月29日のこと。弁護士の裵明玉さんは、第1回弁護団会議が開催されたこの日から、愛知弁護団の事務局長として同裁判の司法闘争を牽引してきた。

裵明玉弁護士

高級部まで東北初中高(当時)に通い、朝鮮大学校政治経済学部法律学科へ進学。その後2008年12月に、現在、九州弁護団の事務局長を務める金敏寛弁護士とともに、朝大法律学科卒の初の弁護士となった裵さん。

そんな彼女が、弁護士活動をスタートする場所として選んだ先は「まったく縁のない愛知」だった。

「そもそも名古屋に来たのは、ロースクール時代を南山大学法科大学院(愛知県名古屋市)で過ごしたから。大学を卒業する年に父親の転勤で仙台から名古屋に越したことも重なった。けどここに長く居るつもりはなかったし、最初の頃は東京に戻り朝大の後輩たちのために役立つことをしたいと考えていた」。

しかし裵さんが弁護士資格を取得した当時、愛知をはじめ東海地域には、地域同胞らの生活や人権を擁護する「ウリ弁護士」はおらず、現地の有資格者の同胞たちから「是非残って活動してくれないかという声をもらった」。

ちょうどその矢先、現在所属する事務所を訪問。当時の所長をはじめ戦後補償問題に熱心に取り組む事務所関係者らに出会ったことで「この事務所に入りたい」と思うようになったという。それは同時に「同胞弁護士としてこの地域で役割を果たさなくては」という裵さんの決心を確固たるものにさせた。そうして現在の事務所に就職、愛知を活動拠点とした裵さんの弁護士活動がスタートした。

弁護団のはじまり

それから約1年3カ月後の2010年3月16日、当時政権与党だった民主党が公約の柱に掲げた高校無償化法案が、衆議院本会議で可決。政府は、焦点となっていた朝鮮高校への適用について、当面は無償化の対象から外し、第3者機関を通じて教育内容を検証したうえで判断する方針を示した。

このような政局の流れを受け、愛知では、検討会議(2010年5月26日)が設置される直前の同年5月20日に朝鮮学校関係者、保護者、弁護士、日本人支援者などからなる「朝鮮高校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知」(以下、「無償化ネット愛知」)を結成。以降、同ネットワークを中心に朝鮮高校の無償化実現に向けた取り組みを活発化させていく。

結成とともに「無償化ネット愛知」の共同代表に就任した裵さんもまた、記者会見や集会での発言など世論喚起に尽力する一方、「万が一訴訟の流れになった時に備え、今後の対応策を模索していた」。

しかしその後、2010年11月23日に延坪島砲撃事件が勃発したのが「決定打」となり、審査は凍結状態に。裵さんは当時、愛知と同様に訴訟を検討していた東京の弁護士らに相談した後、学園側と協議し司法闘争になった場合の準備を進めることに決めた。

内河惠一弁護団長

それから真っ先に、後に弁護団長となる内河惠一さん(82)を訪ねた。内河さんといえば「愛知県弁護士会では政治的立場を超え尊敬を集める大ベテラン」(裵さん)。「訴訟の際には弁護団長になってくれないか」という愛知朝鮮学園理事長(当時)と裵さんの依頼に、当時内河さんは二つ返事で応じたという。

幼少期に戦争で家が焼かれ、焼夷弾から逃げまわった経験を持つ内河さんは、病弱の両親(特に母親は内河さんが19歳の時から寝たきりに)を支えるため中学を卒業し直ぐ働きに出たが、その過程で沢山の人にお世話になったという。その人たちに「恩返しをしよう」と弁護士を目指し、苦学の末に29歳で弁護士になった。それから現在まで約50年もの間弁護士として、平和や人権擁護のために活動している。

そんな内河さんが、朝鮮高校の問題を目の当たりにしたとき「朝鮮学校の問題は朝鮮半島の植民地支配の歴史を抜きに語れない」と考えた。

「私は1998年から『名古屋三菱・女子勤労挺身隊訴訟』*に関わってきたが、この訴訟の準備の中で、自分よりも10歳程年長の原告女性たちの長く、辛い苦しい話をお聴きし、歴史の中に滲み出る当事者の声を通じて朝鮮と日本の厳しい関係・実態を学ぶことができた。朝鮮高校に対する無償化除外の問題を聞いた時、勤労挺身隊訴訟とまったく同じ歴史に根差すと直感し、お引き受けした」。(内河さん)

内河さんを皮切りに、その後、東海地域を拠点に活動する弁護士たちが次々と弁護団への参加を決めた。そうして2011年4月29日、7人の弁護士たちで愛知弁護団(団長=内河惠一さん)が結成された。

人格権侵害を核に

「高校無償化」の年度内適用を訴える緊急集会(2012年2月25日)

その一方で、現場は揺れに揺れていた。それもそのはず、被害当事者である生徒本人を原告として法廷に立たせるのは、当時では前代未聞のことだった。

「裁判が無償化適用に向けた有力な手段であれば、後輩たちのためになんでもしたい」という生徒たちの意見がある一方で、保護者たちからは「教育の環境を整えるのは大人の責任だ」「自分のこととして取り組もうと決めた子どもたちを親として後押ししたい」など、賛同から訴訟後のリスクを考えた反対や憂慮の声まで、あらゆる思いが飛び交っていた。また教員たちからも「無償化除外という事実があって以降、生徒たちが当事者として初めてデモに参加したり街頭に立ち差別反対を訴えたりした。裁判が生徒たち自身の主体的な闘いになるのであれば応援したい」といった声が上がったという。

「私たちとは違い、原告の世代は日常から偏見にさらされる時代を生きてきた。そのため、そのような子たちがウリハッキョを背負い裁判をするとなったとき、人生にどれだけの波及効果があるのか、就職や結婚、最悪進学にまで差し支えるのではといった心配が関係者たちの中にあったし、そのリスクを負ってでもやるという子が出てくるかどうかという面があった」(裵さん)

提訴後に行われた緊急保護者説明会(2013年2月2日)

在特会による京都第1初級襲撃事件など、当時在日朝鮮人に向けたヘイトスピーチやヘイトクライムは既に深刻な社会問題と化していた。そのような状況も重なり、弁護団では原告に立候補した生徒、保護者への説明会を何度も重ね、原告たちのプライバシーを最大限保護する形で訴訟準備を本格化していった。一方、朝鮮高校への無償化適用を巡り凍結していた検討会議の審査は、11年8月の審査再開後も結論が出ないまま政権が移行する流れに。

これを受け、愛知弁護団は、兼ねてから協議を重ねてきた大阪との同時提訴を決める。13年1月24日、「生徒たちの人格権侵害」を全面に主張した国賠訴訟が始まった。

「覚悟を決めて闘う」

これは提訴直前の2013年1月、裵さんが、本紙インタビューで裁判への意気込みを聞かれた際に語った言葉だ。この「覚悟」はいつしか弁護団メンバーへと共有され、固い結束力のもとで同裁判が進んでいく。

(韓賢珠、続く)

連載「明日につなげる―無償化裁判がもたらしたもの―」では、各地の弁護団とその関係者たちにスポットをあてる。かれらが弁護団に携わることになった経緯や裁判過程での気づき、見据える課題などから、高校無償化裁判がもたらしたものが何かを確認し、今後も続く民族教育擁護運動について考える。

 

「高校無償化」制度と朝鮮高校除外

~通称・「高校無償化」制度。正式名称は「高校授業料無償化・就学支援金支給制度」。民主党政権の目玉政策として2010年度にスタートした同制度は、高校無償化法(高等学校等就学支援金の支給に関する法律 )に基づき、授業料の低減を目的に公立高校の授業料を無償化、また私立高校(外国人学校含む)には就学支援金を支給する制度だ。当初、朝鮮高校は無償化の対象に含まれていたが、中井拉致担当相(当時)の除外要請など一部国会議員らの横やりにより、朝鮮高校を無償化対象にするか否かを判断するため、検討会議が発足される(2010年5月)。その後、同年11月23日の延坪島砲撃事件を機に、審査は凍結(2010年11月)され、審査再開(2011年8月)後も結論が出ないまま、自民党政権に移行した。2012年末、文科省は無償化対象から朝鮮高校を外す方針を表明。 翌13年2月20日付で、文部科学省令の改悪により、 朝鮮高校の無償化適用根拠となる規定を削除し、制度の対象外となったことが各地の朝高に通知された。

名古屋三菱・女子勤労挺身隊訴訟

戦時中、三菱重工の軍需工場などで女子勤労挺身隊として強制労働をさせられた朝鮮人の被害女性らによる訴訟。名古屋では名古屋三菱へ強制連行・労働をさせられた被害女性たちが、国と三菱重工業を相手取り1999年3月に訴訟を提起した。2005年3月、名古屋地裁は「韓日請求権協定」を理由に原告の請求を棄却。つづく控訴審判決(名古屋高裁、2007年5月31日)では原告の訴えは退けられたものの、当時行われた動員につい「脅迫などによる強制連行で、過酷で自由を奪われた労働は強制労働である」と認めた。また2018年10月には、南の大法院(最高裁)が日本企業への賠償を命じる原告勝訴の判決を確定している。

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