〈民族教育と朝鮮舞踊 4〉国立平壌マンスデ芸術団の日本公演


朝鮮舞踊と私(2)

練習着での舞台リハーサル(「祖国のツツジ」のワンシーン)

1973年、大学3年生の夏に、国立平壌マンスデ芸術団が来日した。マンスデ芸術団は69年に金正日総書記の指示で結成され、すでにヨーロッパをはじめ世界各国での公演で絶賛を浴び、チュチェ芸術の先駆者的役割を果たしていた。それまで祖国の映画や写真などを見ては、手探りで衣装や動作、ポーズなどを参考にして舞踊を創り、踊っていた在日朝鮮舞踊家はもちろん、在日同胞たちが初めて接し、目の当たりにした本物の「チュチェ舞踊芸術」「黄金の芸術」であった。

初めて迎えた祖国の芸術団、生まれて初めて生で観た朝鮮舞踊。(ああ、これだったのか!)。私は感動に打ち震えた。とても言葉では言い尽くせないものであった。私は東京公演のみならず、名古屋まで行って、革命歌劇「花を売る乙女」と音楽舞踊アンサンブル公演をそれぞれ5回ずつ観るなど今で言う「追っかけ」のようなこともした。特に17演目で構成された音楽舞踊アンサンブル公演では4大舞踊名作―「雪が降る」「祖国のツツジ」「箕の踊り」「リンゴの豊作」―をはじめ「泉のほとりにて」「チェンガンの踊り」「牧童と乙女」「三人舞」「扇の舞」など珠玉の朝鮮舞踊12作品が演じられた。

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