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〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.7 さらなる飛躍への土台(1)/“Face to Face”で関係を再構築

2021年04月09日 12:00 主要ニュース 暮らし・活動

「拉致問題」による反朝鮮キャンペーン、幻に終わったピョンコマ公演が各地の青商会に与えたショックは想像以上に大きく、中央青商会第7回総会(20036月)を控えて次期役員の選考が難航していた。会長候補と目されていた具本憲副会長(58、当時・東京都青商会会長、現・東京都商工会会長)は、黄元圭会長の再三の要請を受け、火中の栗を拾う覚悟で会長就任を決意。だが、具本憲副会長が次期の常任幹事会メンバーを固めるため各地を回ったところ、辞退を申し出る役員候補らが少なくなかった。中央青商会と各地の青商会との間に生じた認識の乖離は解消されていなかった

2003年6月28日、東京朝鮮文化会館で行われた「ウリ民族フォーラム2003 in 東京」

「ウリ民族フォーラム」の開催地に手を挙げる地域も出てこなかった。03年のフォーラムは東京朝鮮文化会館を会場にして、中央青商会が主催した。専従活動家たちは「フォーラムのバトンをつなげたい」(李長五幹事長、現・千葉県商工会理事長)、その一心だった。

フォーラムの同日に行われた第7回総会では、具本憲会長が5代目会長に選ばれ、窮地に起ち上った大阪府青商会の金致萬会長(59、現・大阪府商工会副会長)、京都府青商会の金寛晙会長(57、現・京都府商工会総務部長)らが副会長に就任した。しかし常任幹事会は従来描いていた通りの構成にならなかった。ピョンコマ公演の中止から心機一転、再出発を切ろうとした青商会だったが、会員たちの動揺は尾を引いていた

このような状況を鑑みた中央青商会は、7期の活動を始めるにあたり、すべての地域青商会に向けてアピール文を送った。アピール文では、在日朝鮮人問題の根底にある日本の過去清算問題を思い起こさせると同時に、新しい時代を担う青商会が情勢に一喜一憂することなく、在日同胞の自主性と権利の回復、次世代の明るい未来のため立ち止まらずに活動していこうと呼びかけた。とはいえ、文書を送るだけでは「各地の会員たちの顔が見えない」と具本憲会長は考えた。

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