初心忘れず、誰よりも愚直に/「恩師」らが見た李漢宰さん


3月24日に行われた元・サッカー朝鮮代表、李漢宰さんの引退セレモニー(広島初中高)には、2通の手紙が送られてきた。一つは、倉敷初中時代のサッカー部監督である李雄輝さんの気持ちを込めて、妻の朴賢美さんが綴ったもの。もう一通は、広島朝高時代のサッカー部監督である高隆志さんからであった。李漢宰さんの「恩師」たちから届いた手紙をもとに、李漢宰さんの学生時代をたどる。

悔しさを胸にしまい

倉敷初中初級部時代の李漢宰さん(前列左から2番目)。当時は小柄でやんちゃだったそうだ。

1989年の夏、広島朝高サッカー部の主将を務めていた李雄輝さんは遠征のため倉敷初中を訪れた。そこで出会った小柄でやんちゃな少年が、当時初級部1年生の李漢宰さんだった。

「漢宰は毎日のようにミズノのスパイクを履き、1歳年下の弟である敬宰とともに朝高生の練習に勝手に参加していた。朝高の監督が『もう来んでいい!』と一喝しても練習に参加したがり、しまいには試合に向かうバスにも勝手に乗り込んできた」。お正月に李漢宰さんから送られてきた年賀状は、「10年後は勝負だ!」と綴られた、いわば挑戦状だったという。

倉敷初中のチームメイトたちとともに写真に写る李漢宰さん(前列右から2番目)

3年後に倉敷初中に赴任した李雄輝さんは偶然か必然か、李漢宰さんのクラスの担任を受け持ち、サッカー部の監督に就いた。それ以降、李雄輝さんは周囲が心配するほど、李漢宰さんを厳しく指導した。当時すでに「在日朝鮮蹴球団に入り、朝鮮代表になる」という目標を掲げていた李漢宰さんなら、「必ず厳しさを乗り越えられる」と信じていたからだ。その期待通り、李漢宰さんは歯を食いしばって練習と試合に打ち込んだ。

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