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〈東日本大震災から10年〉アボジが残してくれたもの/広島県在住・李誠さん

2021年03月13日 08:30 主要ニュース 民族教育

「生活の中でアボジのことを思い出す瞬間はいまでもたくさんある」

李誠さん(23)

東日本大震災から10年が経った今、震災で父親を失った李誠さん(23、広島県在住)はそう話す。

誠さんの父・高弘さんは震災当時、出張で訪れていた茨城県内の建設現場にいた。2011年3月11日、茨城県を襲った最大震度6強の揺れは、高弘さんの命を奪った。誠さんが14歳の時だった。「当時を思い出そうとしても思い出せない」。突然訪れた父との別れはあまりにショックだった。

中学3年初期まで日本学校に通っていた誠さんだったが、父亡き後、朝鮮学校出身者だった高弘さんの願いを思い出す。

「アボジはいつも『朝鮮学校ならではの良い所がある』と言って僕を朝鮮学校に通わせたがっていた。震災の後、ふとアボジが言っていたことを肌で感じたいと思い『朝鮮学校に通いたい』とオモニに頼んだ」。そうして同年6月、広島初中高に編入した。

なじみのない環境へ移ることに対する不安や葛藤は「一切なかった」。とにかく「アボジの願いを叶えたい」という一心で朝鮮学校へ通った。

朝鮮語を学んでおらず、はじめは読み書きも満足にできなかったが「先生たちが授業でしゃべる言葉は、なんとなく理解できていた」という。「やっぱり自分にも朝鮮民族の血が流れているんだ」と感じる瞬間でもあったと誠さんは話した。

現在は広島市内の日本企業に勤める誠さん。広島初中高で巡り合った同級生や先輩らとの繋がり、朝青活動を通じて「アボジの言っていた『朝鮮学校ならではの良い所』を理解できた。人とのつながりが濃く、『同胞だから』という理由でお互いを助け合うことは、日本社会にはないこと。心から朝鮮学校に通ってよかったと思っている」。

高級部の頃の李誠さん(写真後列中央)

李さんはいまでも自身の経験を積極的に発信し続けている。

「忘れることが一番悲しいことだと思う。地域によっては震災の恐ろしさがピンと来ない人がいるかもしれないが、想像することを忘れてはいけない。10年前の経験は必ず未来につなげないと」。

人との繋がり、同胞社会の温かさ、伝えることの大切さ…。アボジが残してくれたことを自身のモットーにしながら生きていくと、李さんは笑みを浮かべた。

(金紗栄)

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