〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.3 ウリ民族フォーラムの始まり(3)/北海道における「大事件」


青年商工人をはじめ次世代の同胞社会を担う30代同胞のネットワークを広げ、経済・生活をサポ―トする大衆団体として1995年に結成された在日本朝鮮青年商工会(青商会)。変化する時代のニーズに応え、2世、3世の同胞たちが自らの手で切り開いてきた青商会の25年は、継承と挑戦の歴史であった。「豊かな同胞社会のために」「コッポンオリたちの輝かしい未来のために」「広げよう青商会ネットワーク」のスローガンを掲げ、在日同胞社会の発展をけん引してきた青商会の足跡を振り返る。週1回配信。

ウリ民族フォーラム96 in 北海道

96年6月26日、史上初のウリ民族フォーラムの幕が上がった。会場にファンファーレが鳴りひびき、真っ暗な舞台に立った朴昌玉・北海道青商会初代会長に一筋のスポットが当たる。

「ウリ民族フォーラム96in北海道の開会を宣言します!」

その瞬間、舞台脇で見守っていた崔寅哲・北海道青商会幹事長の目からはとめどなく涙があふれた。「足が震え、胸の高鳴りを抑えられなかった。イルクン(活動家)人生、後にも先にもはじめての経験だった」。

脳裏に浮かんだのは、朴昌玉会長をはじめ、ともにフォーラムを作り上げた青商会メンバーの姿だった。「北海道という広大な地域を回って、一人ひとりの青年たちと意見を交わし、時にはぶつかったことや、青商会事務所を新設するときに役員総出で毎晩汗を流し、開所式には各地から青商会会員たちが駆けつけてくれたこと…会場に集まった一人ひとりの顔を見ながら、準備期間のすべてが思い出された」。

心揺さぶるディスカッション

フォーラムの目玉となるパネルディスカッション「ウリ民族教育―子どもたちの未来を見つめて」では、「爆発的な討論を期待する」との司会者の言葉に刺激され、3人のパネラーと5人のゲストたちが「民族教育」をテーマに熱い意見を交わした。議論は教育問題だけにとどまらず「在日同胞が置かれた境遇」「異国で朝鮮人として生きていく力の源泉」など多岐にわたった。

ウリ民族フォーラム96 in 北海道の参加者たち

とくに参加者たちの胸を打ったのは、パネラーの1人である神戸朝高の梁玉出教員(当時)の発言だった。梁教員は、阪神・淡路大震災の時にすぐに見舞金を送ってくれた祖国や、連日、支援の手を差し伸べてくれた各地の総聯組織と在日同胞の存在が、学生らと被災同胞に再び立ち上がる力と勇気を与えたと語った。「今後も日本で生きていく若い世代に私たちが引き継がなければいけない『根本』を決して失ってはならない」。

祖国、民族、組織…。従来の行事とは一線を画す忌憚ないディスカッションは、世代が変わるにつれて曖昧になりつつあった「根本」についてもう一度若い世代に問いかけるものだった。

ウリ民族フォーラム96 in 北海道の参加者たち

パネラーやゲストと円を描くように座っていた参加者たちの頬には、いつしか涙が伝っていた。

「パネルディスカッションを聴きながら、何かが溶けた」と李洪一・中央青商会初代幹事長は語る。「当時の30代の参加者たちはやんちゃで、何事にも物を申す世代。そんな参加者たちが、皆涙を流していた。あんな光景は見たことがない。実際にフォーラム後、日本学校に子どもを送っていた会員たちが、朝鮮学校に子どもを編入させた例がいくつもあった」。

ウリ民族フォーラム96 in 北海道の参加者たち

地方からの参加者も大きな感銘を受けていた。

韓広希・山口青商会初代会長は、当時、朝鮮新報記者に対して「いつの間にか失いかけていた『大切なもの』をまた取り戻した。教育問題を論じながら、在日同胞の生き方の根本問題に対し深く考えた」と語っている。

また、金光雄・福岡青商会初代会長は、「フォーラム自体は、決して派手なものではなかったが、30代の若い商工人たちが、集まり、語り合う、そのこと自体にびっくりした。会場に集まった多くの会員を目の当たりにし、青商会は、誰かが呼びかければ各地の同胞青年らが駆けつけるネットワークだということを実感した」と当時を振り返った。

ウリ民族フォーラム96 in 北海道

フォーラム当日には、道内外の同胞青年たち約300人が参加した。その3分の1が、北海道青商会の会員だった。「当時、北海道には200人ほどの青商会対象世代がいて、その半分にあたる100人が参加した。ちりぢりになりそうだった30代が一所に集まり、その力が集結されたあの瞬間、あの場は、まさに北海道における『大事件』だった」と崔寅哲幹事長は振り返る。

「ウィハヨ!」

フォーラム後の宴会は、すすきののグランドキャバレーで行われた。会場の舞台では東京朝鮮歌舞団が公演を行い、場内の電光掲示板には「コッポンオリたちの輝ける未来のために」という青商会のスローガンが流れる、まさに「ウリプニギ(私たちの雰囲気)」(崔幹事長)の中で、乾杯の音頭がとられた。

「ウィハヨ!(為に!)」

今ではよく耳にする乾杯の音頭だが、当時としては聞きなれないフレーズだった。

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