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〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.3 ウリ民族フォーラムの始まり(1)/きっかけは「交流会」

2020年12月05日 14:47 主要ニュース

青年商工人をはじめ次世代の同胞社会を担う30代同胞のネットワークを広げ、経済・生活をサポ―トする大衆団体として1995年に結成された在日本朝鮮青年商工会(青商会)。変化する時代のニーズに応え、2世、3世の同胞たちが自らの手で切り開いてきた青商会の25年は、継承と挑戦の歴史であった。「豊かな同胞社会のために」「コッポンオリたちの輝かしい未来のために」「広げよう青商会ネットワーク」のスローガンを掲げ、在日同胞社会の発展をけん引してきた青商会の足跡を振り返る。週1回配信。

「ウリ民族フォーラム96in北海道」

青商会結成(1995年)の翌年、北海道で初めて開催された「ウリ民族フォーラム」。青商会活動の2大柱である民族教育と経済活動をテーマに、豊かな同胞社会実現のためのビジョンと実践を提示してきたフォーラムは、現在では青商会の代名詞として定着した。

伝統あるフォーラムは、いつ、どのようにして始まったのか。きっかけは25年前、青商会会員からの何気ない提案だった――。

「北海道と山口の青商会で交流会をしたい」

青商会結成大会(95年9月)の前夜、偶然同じ宿に泊まり、意気投合した北海道青商会の朴昌玉初代会長と山口青商会の韓広希初代会長ら両地域の青年たち。朴昌玉初代会長がもともと、「商売だけでなく、組織や学校を守るうえでも他者との情報交換が不可欠だ」という考えを持っていたこともあり、そのきっかけ作りとして、中央青商会に交流会が提起された。

時を同じくして、地方青商会の建設に奔走していた宋元進初代会長ら中央役員たちも、青商会という中央組織の存在をアピールしつつ、地方組織建設を加速化させるきっかけを模索していた。

(青商会を結成したからには、1年に1度でも、各地の会員たちが一堂に会し、思いを共有できる意義あるイベントを行いたい…)

こうして至った結論は、北海道と山口から提案された交流会を、全地域規模に拡大して行おうというものだった。

95年11月の北海道青商会結成後、李長五・中央青商会2代幹事長(当時は国際事業部長。現・千葉県商工会理事長)は、フォーラムの企画書を手に、札幌市内のホテルの喫茶店で、北海道青商会と初の会合を行った。しかし返ってきたのは、予期せぬ反応だった。

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