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〈それぞれの四季〉韻文について②/李京柱

2020年12月02日 11:15 コラム

詩の授業は難しい。高級部の教科書には多くの詩が収められているが、しっかり教えられているのか正直実感が湧かない。今回は吉野弘さんの「I was born」を教えた。

「ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体」

「生まれる」が受身であると話す中学生の子どもが、母は自分を産んだことにより命を落としたという事実を父から聞き、生を自覚的に認識するという話。

その人がその詩を通して何を思うのかという感受性が、詩を詠むうえで大切だ。でもそれを縛るような授業もあまりよろしくない。原点に戻ろうと、まず初読の感想文にたっぷり時間をかけた。それをグループで発表し、一番感動したものを一つだけ選んでもらった。

いつもより真剣な眼差しの生徒たち。ある生徒がこう話した。

「『産みたい母』と『産まされたと思う子ども』の対比がとても切ない」

自分にない視点で思わずはっとした。こういう視点もあるのだと目頭が熱くなった。今まで「教える」ことだけを念頭に置いていたがために、純粋に詩を詠む・感じるということを自分自身が疎かにしてしまっていたと痛感した。

詩歌を教える難しさはある。でも自分がそれを通して何を「教わった」のかを伝えるのもいいかもしれない。

新しい自分を発見するのが詩の楽しみであり、また、教職のやりがいでもある。

(大阪市在住、教員)

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