〈青商会、挑戦と継承の足跡〉Ep.3 ウリ民族フォーラムの始まり(2)/皆が「主人公」に


青年商工人をはじめ次世代の同胞社会を担う30代同胞のネットワークを広げ、経済・生活をサポ―トする大衆団体として1995年に結成された在日本朝鮮青年商工会(青商会)。変化する時代のニーズに応え、2世、3世の同胞たちが自らの手で切り開いてきた青商会の25年は、継承と挑戦の歴史であった。「豊かな同胞社会のために」「コッポンオリたちの輝かしい未来のために」「広げよう青商会ネットワーク」のスローガンを掲げ、在日同胞社会の発展をけん引してきた青商会の足跡を振り返る。週1回配信。

ウリ民族フォーラム96in北海道

「北海道の『色』とはなにか?」――。

「ウリ民族フォーラム96 in北海道」の準備に取り掛かった準備委員会が、直面した課題だった。

議論の過程で、北海道の「色」としてまず挙げられたのは、伝統ある初中高一貫校であるウリハッキョの存在だった。フォーラムの骨子は「民族教育」に、開催場所も札幌市内にある北海道初中高に決まった。

フォーラム企画の草案として中央青商会が提起したのは、パネルディスカッションと講演会、そして交流会の開催だった。この大枠にそって、フォーラムの主人公である地域青商会が北海道ならではのアイディアを加えていった。

崔寅哲・北海道青商会初代幹事長は「最初は『パネルディスカッションって何よ?』なんてところから、議論が始まった。当時は、講演形式がポピュラーで、掲げられた議題について互いの意見を交わす形式なんて、見たことも聞いたこともなかった」と振り返る。若い同胞青年たちが築いた新しい組織だからこそ、「既存の組織とは違う斬新さを追求した」。

当時、中央青商会側には、初めてのフォーラムに関してある思惑があった。「少し時間と労力がかかっても、開催地をたてて、地域ならではの『手作りの味』を感じられるフォーラムにしたい。地域青商会が主人公となり、自分たちの舞台を作ったというやりがいは、今後の地域の大きな力になるはずだ」(李洪一・中央青商会初代幹事長)

ウリ民族フォーラム96in北海道

北海道の「色」を活かした、手作りのフォーラム。朴昌玉・北海道青商会初代会長が目指したのは「全員が参加し、模索するフォーラム」だった。

「北海道で開催されるからといって、ホストとお客さんじゃない、皆が主人公というスタンスで行きましょう」(崔寅哲幹事長)と、フォーラムの内容はもちろんのこと、会場の仕様にもこだわった。体育館の中心にモニタービジョンを設置し、ぐるりと並べた大量のビールケースの上にコンクリートパネルを敷き、300余りの椅子を並べた。パネラーと参加者が円を描き、参加者皆の顔が見える「格式張らない」スタイルも当時では珍しいものだった。

また、日本有数の観光地ならではの人脈も駆使した。フォーラム当日、校内で北海道物産展を開催することになり、最終日には、ゴルフコンペも企画した。

一方で、ひと悶着あったのは、フォーラム後の交流会会場の選定だった。各地から集まった300人あまりの同胞青年たちを収容できる会場は、札幌市内にもそうそう見つからない。白羽の矢が立ったのは、

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