〈在日無年金障害者―零れ落ちる声を拾って〉今一度、在日無年金問題を問う


国民年金制度の施行(1961年4月)から、来年で60年を迎える。同制度の根拠となる国民年金法の目的は、老齢・障害・死亡によって生活の安定が損なわれることを「国民」の共同連帯で防止し健全な生活の維持および向上に寄与すること。しかし、この誰もが享受すべき社会保障制度、さらに言えば人々の生に関わる保障制度から零れ落ちた人たちがいる。

それが、在日無年金高齢者・障害者たちである。

1959年に国民年金法が施行された当時、同法に設けられた国籍条項により、在日朝鮮人をはじめとする日本在住の外国人は、国民年金への加入を拒まれていた。日本が82年に難民条約へ加入して以降、これに伴う法改正により国籍条項が撤廃。社会保障を受ける権利は、「日本国籍を有する者」から「日本に居住する者」とその対象が広がった。しかし、日本政府が経過措置を取らなかったことにより、一部の在日外国人らが無年金状態となったのだ。82年1月1日時点で、➀35歳を超えていた在日外国人、②60歳に達していた在日外国人(その後一部改正)、③母子家庭あるいは準母子家庭になっている在日外国人、④そして20歳を超えていた在日外国人の障害者たちである。

当時、日本政府の言い分は、▼国民年金制度は社会保険方式が基本なので、82年まで保険料を払っていない(掛け金のない)在日外国人には年金を支給できない、▼82年の国籍条項の撤廃は制度の発足ではなく拡大であり、経過措置とは、制度の発足時に行うもので制度の途中ではしないのが原則であるということ(朝鮮新報2000年5月22日付より)。

だが実際は、日本政府の言うように保険料を自ら「払わなかった」のではない。

在日外国人は82年まで国籍条項のため国民年金に加入できず、社会保障から締め出され、保険料を「払えなかった」のである。そして、当時の日本政府による「弁明」が理不尽極まりないのは、国民年金の財源は保険料だけでなく、それに税金を加えたものであるということ。同じように納税義務を果たしている在日外国人を度外視した「保障」制度だった。

一方で日本政府は、1968年の小笠原諸島返還時、72年の沖縄返還時、また中国残留日本人の帰国に伴って、無年金者を出さないように経過措置をとっている。在日外国人に関してだけ、無年金者を出すことを承知の上で一切の経過措置も取らなかったのは、明らかな差別であった。

日本の植民地政策のもとで強制連行されたり、やむを得ず日本に渡り、生活の基盤を築いた在日同胞たち。戦時には同じ「皇国臣民」として奉仕することを強いられ、日本が戦争に負けると、本人の意思に関わりなく日本国籍をはく奪された。その後、一転して「外国人」と扱われ、すべての社会保障から閉め出された。そして今も差別の渦中にいる。

当事者たちの闘い

無年金状態にある在日同胞らは、国による国籍を理由とした民族差別、人権侵害を是正し、社会保障を平等に受けられるよう、国や日本社会に対し署名運動や議会請願、街頭活動などを通して積極的に声を上げてきた。

1991年には当事者たちからなる「年金制度の国籍条項を完全撤廃させる全国連絡会」が発足。

2000年3月には故金洙榮さんが原告団長となり、京都市に在住する同胞障害者7人が京都地裁に在日障害者の年金保障を求め訴訟を起こした。当時裁判は敗訴したものの、当事者自らが立ち上がったことによって運動が広がり、各地に無年金問題が広く知られることになった。また04年には在日無年金高齢者の裁判も始まった。

当事者たちの闘いの結実として、現在、神戸市をはじめとする数多くの地方自治体が従来の年金額には満たないものの、独自の給付金制度を設けている。これは無年金状態にある在日同胞らの大切な生活資金となっている一方で、国の差別的な処遇とその理不尽さも物語っているといえよう。それでもなお、日本政府はこの問題を放置し続けている。それが現在の在日無年金者たちが置かれた現状である。

4回にわたり、当事者たちの中でも在日無年金障害者たちにスポットを当て、彼・彼女たちの声を紹介していく。

(李鳳仁)

連載記事

〈在日無年金障害者―零れ落ちる声を拾って 1〉“制度はいくらでも変えられる”/愼英弘さん

〈在日無年金問題―零れ落ちる声を拾って2〉これは歴史の問題、尊厳の問題/李幸宏さん