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〈それぞれの四季〉「学習って?」/李京柱

1学期を一言で言うと、「長かったようで短かった」。月並みの言葉ではあるが、私にはこの言葉以外浮かばない。

大阪朝鮮中高級学校として新しいスタートを切った4月4日、しかしそれはスタートと言うには甚だ遠かった。結局4月に生徒たちが登校したのは2日間だけ。オンライン授業の準備に追われるが実際に生徒と会うことはなく、ただいたずらに時が流れた。

6月から登校が再開した。オープンキャンパスや朝青学習会など空白の2カ月を埋めるかのように、例年よりいっそう目まぐるしく日々が過ぎた。その「長かったようで短かった」1学期を終え私の胸に残ったのは、生徒たちの笑顔だった。

「学校は必要か」という議論がある。たしかに今や通信教育や塾、アプリを通し、通わずとも学べる時代になった。では「学校」や「民族教育」にしかできないことって……

孔子がいう「学習」には、机上だけではなく、人とのふれあいの中で学ぶものも含まれる。いくら画面越しで会話を、会議を、飲み会をしたとしても、満たされないことがあった。なぜなら、それは人を写した機械でしかなく、厳密に言うと人ではないからだ。そこには人がいないのだ。

だからこそ思うようになった。「人がいるこの空間を無くしてはいけない」、「朝鮮人が集うこの場を守らねばならない」と。そして心に刻んだ。「目の前の生徒たちの一瞬一瞬を大切にしよう」と、これもまた月並みではあるが。

(大阪市在住、教員)