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“平壌宣言は関係改善の里程標”/金丸信吾さんが講演

日朝長野県民会議が主催

朝鮮の自主的平和統一を支持する長野県民会議(日朝長野県民会議)とその地区組織である日朝松本市民会議が主催する日朝問題学習会が11日、長野初中で行われた。故金丸信元副首相(自民党元副総裁)の子息で秘書を務めた金丸信吾さんが「日朝関係の歴史と現状~22回の訪朝経験から考える~」と題して講演を行った。学習会には同胞、日本市民ら約100人が参加した。

主席と単独の面談

金丸信吾さんが講演をおこなった

金丸信元副首相は1990年9月、自由民主党と日本社会党の合同訪朝団の自民党代表として初訪朝し、朝鮮労働党との間で「朝・日関係に関する朝鮮労働党、日本の自由民主党、日本社会党の共同宣言」(三党共同宣言)を発表。金丸信吾さんは金丸元副首相の秘書として同行した。

金日成主席は、妙香山の招待所で代表団と面談。妙香山では主席と金丸元副首相の単独会談が3回にわたり行われた。会談の席上、日本の過去の行いについて謝罪した金丸元副首相は、主席から朝・日国交正常化交渉の開始に関する提案を受けた。

後の9月28日に発表された三党共同宣言では、三党が朝・日間に存在する非正常な状態を解消しなければならないということで見解を同じくし、国交樹立の実現と懸案問題解決のための交渉を開始するようにそれぞれの政府に勧告することで合意した。

91~92年の間には8回の朝・日政府間交渉が行われ、金丸信吾さん自身も交渉のために10回訪朝した。そのうち7回は主席と単独での面談だった。「外交交渉ということもあり、当時のプレッシャーは相当なものだった。主席の印象は、朝鮮の人々が首領と敬愛を込めて言うように、日本人の私からみても偉大な方だとひしひしと感じた」。

92年には、金正日総書記と初の面談も行われた。「あるとき主席が若い人同士が話すのもいいとおっしゃり、案内された部屋のドアを開けると金正日総書記がいらっしゃった。とても頭の回転が速い方だなというのが第一印象。私が政治的な質問を振っても、それは主席とお話しくださいと政治的な話には一切答えず、分をわきまえた方だと感じた」と振り返る。

その後、国交正常化交渉は中断を余儀なくされた。金丸元副首相も92年10月に議員辞職。94年には主席が逝去した。

「あと5年、この2人が政治の表舞台にいたら、日朝関係は現在の状況とは全く違っていたのではと今でも思う」(金丸さん)

民間外交に力を注ぎ

10年の時を経て、金丸信吾さんが再び訪朝したのは2002年5月。

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