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多様性ある「混ざり合う社会」へ/オンラインセミナー「障害と国籍」、ブラインドサッカー協会主催

2020年07月13日 14:32 スポーツ

ブラインドサッカー協会(JBFA)主催のオンラインセミナーが7月3日に行われた。ブラインドサッカー(以下、ブラサカ)とは、アイマスクをつけた選手らがボールの音と声のコミュニケーションで行なう5人制サッカー。セミナーでは、ブラサカ日本代表強化指定選手の寺西一(はじめ)さんとJBFAの事業で講師を務める元Jリーガーの黄誠秀さんが「障害と国籍」をテーマに、多様性のある社会について意見を交わした。(まとめ・李永徳)

ブラインドサッカー

アイマスクを着用したフィールドプレーヤー4人、晴眼者もしくは弱視者が務めるゴールキーパーが試合に出場するほか、相手チームのゴール裏にガイド(コーラー)、自陣サイドフェンス外側に監督がいる。ピッチはフットサルコートと同じ大きさ。転がると音が出るボールを使用し、ゴール後方に位置するガイドが選手らの位置を教える。パラリンピック種目で唯一、障害者と健常者がともに選手としてプレーできるスポーツ。

企業研修で講師を務める寺西さん(右)とファシリテーターの黄さん@JBFA

黄誠秀さん

1987年生まれ、東京都出身。西東京第1初中―東京朝高―朝大―ジュビロ磐田(10-12年)-ザスパクサツ群馬(13-15年)-大分トリニータ(16-18年)。Jリーグ通算128試合1得点(カップ戦含む)。18年シーズンにプロキャリアを引退し、サッカークラブを運営する株式会社Criacao(クリアソン)に入社。業務提携先のJBFAに出向し、パートナー営業と講師の仕事を務める。

寺西一さん

1990年生まれ、広島県出身。網膜の病気により中2で全盲に。2003 年に筑波大学付属盲学校進学のため単身上京し、ブラサカと出会う。2010年に日本代表デビューし、世界選手権に出場。以降、日本代表強化指定選手として活躍。株式会社 GA technologies に勤務しながら、JBFAによる小中学校での体験型授業や企業研修の講師として活動する。愛称は「ハジ」。

寺西 ソンスさんとはもう1年以上の付き合いになりますね。ブラサカの体験会や企業研修を一緒にやらせてもらっていますが、生い立ちについては詳しく聞いたことがなかった気がします。

 僕は在日コリアンとして生まれ、小学校から大学まで朝鮮学校に通いました。幼い頃から在日コミュニティーの中で育ち、物心ついた時からサッカーボールを追いかけていました。朝鮮学校に入った後、部活動でサッカーをするか、日本のクラブに入るか2つの選択肢がありましたが、自分は当たり前のように仲間が多い学校のサッカー部に所属しました。

サッカークラブ「 クリアソン新宿」でプレーする黄誠秀さん(写真提供=株式会社Criacao)

寺西 朝鮮学校にはあまり馴染みがないですが、どんな学校でしょうか。

 授業の科目は日本の学校とあまり変わりませんが、朝鮮学校では国語の時間に朝鮮語を習います。学校では友だち同士も朝鮮語で話していました。

寺西 日本の人たちと関わる機会はありましたか?

 小、中学生の頃、日本のサッカースクールに通っていました。ですが練習のために集まり、練習後すぐに解散という感じでした。日本の方と濃い付き合いを持ち始めたのは、大学卒業後にプロの世界に入ってからでした。

寺西 日本の人たちが在日コリアンのことをどう思うか、考えたりしましたか?

 学校で学ぶ過程で在日コリアンに対する差別の歴史を知り、いつしか「日本人には負けちゃダメだ」と考えるようになりました。自分で勝手に「壁」を作っていたのかも。実際に社会に出てみると、日本の方々の中には優しい人たちが多いですし、Jリーグのピッチではたくさんのファンから声援をいただきました。自分が在日コリアンだからこそ、声援が人一倍心に響きました。そのような経験が、在日コリアンとしての立ち位置を考える機会につながり、ひいては自身の生い立ちに誇りを持てるようになりました。

寺西 自分の場合、進学を希望する大学に書類を提出したところ、学校側から障害者は受け入れられないと言われました。どうにか大学への進学が決まり、家を探していた時には、家主から「もしあなたが火を使って火事を起こしたら、他の住居人に対して責任を取れない。他の人たちを考えると、あなたに住んでもらうわけにはいかない」と。外国人や障がい者に対する差別は昔と変わらず、今も根強く残っているように思います。

 そうですね。Jリーグでは外国人枠とは別に、各クラブ1人まで出場できる「在日枠」(準外国人枠)があるのですが、この枠は日本の高校を卒業した者が対象になります。朝鮮学校は各種学校としてしか認められていない状態なので、在日枠に入るには、通信制の学校に通って日本学校の卒業資格を取得する必要がありました。差別的な状況に置かれたことは一度だけではありません。多くの人々が朝鮮に対する偏ったイメージを持っていることもあり、朝鮮籍の私は海外のビザ取得が難しい。行きたい国に自由に行けず、何度も悔しい思いをしました。

寺西 海外に行くのにハードルがあるとは知りませんでした。

 実は韓国にも行ったことがありません。朝鮮には10回以上行ったことがあるのですが。昔は新潟から万景峰号という船が出ていて、2泊3日で朝鮮に行けました。今は中国から飛行機経由で朝鮮に行けます。朝鮮学校の修学旅行でも行きますし、すごくいい国ですよ。ご飯も美味しい。

寺西 知り合いに朝鮮に行ったことがあるという人がいます。私自身はそれほど悪いイメージは持っていません。一度行ってみたいですね。

 ぜひ今度一緒に行きましょう!

日本代表として昨年のアジア選手権大会に出場した寺西さん(2番)©JBFA/H.Wanibe

寺西 こうして日本にずっと暮らしていて、普段から差別を感じることはありますか?

 子ども2人のうち、1人を朝鮮学校の幼稚園に送っているのですが、朝鮮学校の幼稚園は幼保無償化という制度から除外されています。教育環境はもう1人の子どもを送っている日本の保育園とあまり変わりません。なのに、朝鮮学校だけ差別されている。国籍や人種で判断するのではなく、ひとりの人間として認めてほしい。

寺西 国籍や障がいなどそれぞれが違いを持っているのに、一緒くたに括られ、ラベリングされることも多々あります。このような状況をどう打開すればいいのかと日々考えています。

 シンプルかもしれないですが、お互いをリスペクトすることが大事だと思います。ハジくん(寺西)と初めて会った時、企業研修に向かうため駅で待ち合わせましたよね。駅で落ち合って移動する際、ハジくんは1人でエスカレーターや階段を登り、すたすたと早いスピードで歩いていました。正直、衝撃を受けました。「大丈夫かよ」って。今振り返ると、視覚障害者に対するバイアス(偏見)を持っていました。

寺西 どんな人でも実際に合って喋ってみないと、わからないことが多い。自分も知り合いの在日コリアンに対して、大変な人生を送ってきたんだろうなと勝手なイメージを持っていました。誰しも、大なり小なり偏見を持っています。時には、マイノリティー自らが声をあげることも必要でしょう。自分がこういう人であると伝えたり、他人に積極的に興味を持つことも、「混ざり合う社会」につながるのではないでしょうか。

 お互いを認め、支え合えれば、より生きやすい社会が実現すると思います。先日、さいたま市がコロナ防止のためのマスクを朝鮮幼稚園にだけ配らないという問題が起きました。難しい時こそ他人に手を差し伸べる。それが当たり前になる時代が来てほしいと改めて思います。過去には朝鮮名を名乗ると相手がどう思うのかと気になり、通名を名乗ろうか悩んだ時期もありました。知らずのうちに壁を、バイアスを作っていました。自らをオープンにすることで相手に理解してもらえ、より深い繋がりを持てる。多くの人たちに、そのことに気付いてほしい。

黄さんも講師を務める「ブラインドサッカー研修会(OFF T!ME) 」@JBFA

Q. 最後に、ブラインドサッカーについて話を聞かせてください。

 初めてプレーした時は、普通のパスを止めることすらできませんでした。周囲が見えないため、怖くて動けなくなってしまいます。手を使っても中々距離感が掴めません。自分にとっては難しすぎるスポーツです(笑)。ですが、実際の試合では「本当に見えていないの?」と思わせるほどすごいプレーが連発します。歓声を出すと競技者のコミュニケーションの妨げになるので、試合中は声を押し殺し、ためいき交じりに選手たちのプレーに見入っています。

寺西 人は文字を書いたり、歌を歌ったり、さまざまな形で自分を表現します。それと同様、ブラインドサッカーは僕にとっての表現方法です。視覚障害者と健常者が協力してプレーするブラサカの魅力、ダイバーシティー(多様性)の大切さを、国籍や障害、世代を問わずより多くの人たちに伝えていきたい。日本はもちろん世界中でプレーする人が増えれば嬉しいです。

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