〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 1〉泉と湧水(샘과 샘물)


2015年の9月、妻と京都から岐阜高山を巡る旅行に出かけた時のことだ。私が小学校時代によく遊びに行った京都の太秦にある広隆寺と蚕ノ社(かいこのやしろ)、嵐山を訪れた。

京都で最古の仏教寺院である広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を見学した後、蚕ノ社に向かった。蚕ノ社の境内にある元糺の池(もとただすのいけ)と称する泉を55年ぶりに見たかったからだ。

蚕ノ社は、京都で最も古い神社の一つで、泉の中に正三角形に組み合わせた三柱鳥居(みはしらとりい)という珍しい鳥居があることで知られている。6世紀後半〜7世紀、太秦を本拠地に養蚕(ようさん)・機織(はたおり)・酒造・治水など当時の最先端技術で、古代日本の国家形成に大きな影響を与えた朝鮮半島からの渡来人・秦氏ゆかりの神社である。

広隆寺から蚕ノ社まで10分ほどなので、散策を兼ねて歩いて行くことにした。道すがら、泉に手足を浸すと諸病に良いと言われていたこの池で楽しく遊んでいた時のことを、恋人に会いに行くようなときめきを感じながら懐かしく思い出していた。

入口の鳥居から泉までは100メートルほどで、泉のすぐ横に本殿がある。本殿の東側には蚕養神社(こかいじんじゃ、東本殿)があり、「蚕の社」の通称はこれに由来する。

初秋の風を背に鳥居をくぐり、泉のある場所へと小走りで向かった。境内には人影もなく神秘的な静けさに包まれていた。そんな私に妻が、「何が忙しくてそんなに早足で行くの」と言った。「ついて来て!」とだけ言って先を急いだ。石畳を踏むコンコンという足音だけが静寂な境内に響いた。

泉に着いた私は愕然とした。泉に水がない。干上がっていたのだ。泉の底は小枝や落ち葉で覆われていた。泉の命が尽きたのだ。泉の奥にある三柱鳥居が物寂しく立っていた。湧水の湧き出る神泉の池だと言われていた泉の姿がなんともあわれに思えた。

意気消沈しながら次の目的地の嵐山に行こうと、京福電車嵐山線の蚕ノ社駅に向かった。駅の広報板を見ると、湧水のある昔の泉の写真が掲げてあった。その面影にしばし目をやりながら心を癒した。

後で知ったが、泉が涸れてしまった現在でも毎年、夏の土用の丑の日に人工的に水を満たして禊(みそぎ)が行われ、参拝者が訪れるという。

嵐山に向かう車中で、蚕ノ社の泉が涸れたのは人間が地下水を汲みすぎたからではないのかと思った。その時、蚕ノ社の泉の姿が在日朝鮮人社会のウリマルの姿と重なった。ウリマルがなくなった同胞社会、考えただけでも身震いがした。

「ことばの泉」という語がある。この語は、ことばが次から次へと泉の水のように限りなく出てくることを例えたことばだ。これを「ウリマルの泉」と言い換えれば、ウリマルが次から次へと限りなく出てくることを例えたことばになるだろう。在日朝鮮人社会には、今まさにこの「ウリマルの泉」が必要なのだ。「泉の水」であるウリマルを、蚕ノ社の泉のように涸らしてはならない。泉が泉たる所以は、湧水が湧き出てくるからで、湧水の湧き出ない場所はもはや泉とは言えない。同じように在日朝鮮人社会からウリマルがなくなれば、在日同胞社会がなくなることになる。

在日朝鮮人社会においてウリマルは「泉の水(샘물)」で、ウリ学校や総連組織、在日同胞は「泉(샘)」に例えることができよう。

在日4~5世の子どもたちが、ウリ学校でウリマルを使って楽しく勉強し、話している姿は、まさに湧水が湧き出る泉そのものの姿ではないだろうか。ウリ学校や同胞社会という「泉」にウリマルという「泉の水」が絶え間なく湧き出るようにすることが、今私たちに強く求められている。そうすることがウリ学校や同胞社会を守ることになるからだ。極論すれば、朝鮮民族の一員としての在日朝鮮人の運命は、同胞社会でウリマルを絶やすことなく使用していくか否かにかかっていると言える。

ウリ祖国とウリ組織とウリ学校があり、子どもたちと先生、愛国的な同胞がいる限りウリマルがなくなることはないと思うが、容易なことではない。過去、ことばを失い民族として消滅した例がこの世界に少なからずあった。ましてや海外に住む民族の場合はなおさらのことである。そういう歴史に今、私たちは挑戦している。無謀な挑戦だと言う人がいるかも知れない。しかし、ことばを守ることで民族を守りぬいた歴史もまたある。朝鮮民族の一員として、そんな歴史の経験と教訓から学び、私たちの歴史を創ろう。

マイノリティの在日のウリマルを守るのも、在日同胞の運命を決めるのも、朝鮮人としての自尊心と尊厳を守ろうとする私たち自身の強い意志と行動次第だ。

こんな気持ちを込めてエッセイのテーマを「ウリマルの泉」とした。

次回から、ウリ学校、ウリ組織、ウリ同胞社会という「샘(泉)」が涸れることのないように、ウリマルという「샘물(泉の水)」を在日朝鮮人がどのように大切に蓄え、守ってきたかを書いていきたいと思う。

샘(泉)の語源

샘(泉)とは、地中から水の湧き出てくる所です。昔、샘を漢字で「乙」と表記していました。この発音は「을」ですが、これは「얼(魂、精神)」と発音される漢字がなかったので、それに似た「乙(을)」をあてたのです。なぜ샘を얼と言ったのでしょうか。샘は地から湧き出るものですが、얼(精神)は、肉体から湧き出るものと朝鮮民族は考えたのです。この「湧き出るもの」という共通点から샘と얼を同じものと見なしました。

샘のハングルによる古語が文献に現れ始めるのは15世紀になってからです。1445年、訓民正音(ハングル)で初めて書かれ、1447年に刊行された詩歌の「龍飛御天歌」(全125章)の第2章に새미 기픈 므른(샘이 깊은 물은 泉深き水は)と出て来ます。샘の古語は、15~18世紀にかけて広く使われていましたが、19世紀に入ると새암などに変化し、その後、現在の샘に至りました。

(朴点水・朝鮮語研究者)

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