〈友好への種を撒こう 7〉小説家/平野啓一郎さん


固定せず、いろんな足場を

大学在学中に書いた「日蝕」での芥川賞受賞、昨年映画化された小説「マチネの終わりに」など、文壇、読者ともに高い評価を受け続ける小説家の平野啓一郎さん。昨年出版された小説「ある男」では、主人公を在日3世の弁護士とし、揺れ動くアイデンティティを豊かに表現した。なぜ、「在日」を書いたのか、同胞を取り巻く今の日本社会をどう見るか、話を聞いた。

平野啓一郎さん(写真=李鳳仁)

– 小説「ある男」の主人公を、在日3世という設定にしたのはなぜですか?

以前から、在日問題に限らず差別の問題について多く考えていました。一方で自分は在日ではない。戦後の在日朝鮮人文学にも金石範さんや李恢成さんなど重みのある歴史があり、当事者じゃない立場でどうこの問題にアプローチしたらいいか迷っていた部分がありました。

日本の作家として在日に対する差別の問題を考えなければいけないと思い始めていたころに、インターネットの底辺にうごめいていた差別的な言辞が一般の人の目にも触れるようになり、あげくに公の場でも聞かれるようになった。その時、すごく動揺しました。

私は北九州で育ちましたが、小・中・高で在日の友人がいました。通名で日本名を名乗っていたり、朝鮮名を使っていた人もいました。ヘイトスピーチが公の場で行われるようになった時に考えたのは、当時の友だちが今、どうしているのか。幼馴染の心情と境遇を心配するという立場からならこの問題を書けるんじゃないか、そして、書くべきタイミングだと思いました。

– 「ある男」の主人公は、在日同胞に対するヘイトスピーチを初めて見た時、攻撃を自分のものと捉えられないことに対し「罪悪感」のようなものを感じています。

小説を書くと決めて、周りの在日の知り合いを、3世を中心に2桁くらい取材しました。同じ在日コリアンでも育った環境により違いがありましたが、日本社会に同化しながら、それでも在日であるというアイデンティティを持っている人たちは、取材すると「大した話はない」と言いながら、在日コリアンに対する差別をもっと深刻に引き受けながら育ってきた人たちと接した時、自分がそれをシェアし損なっていることに対し、「劣等感」というか、気が引けるような感覚を持っていると話してくれました。

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