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〈新型コロナウイルス〉経済学から考える今後の展望と対応(2)/康明逸

行動科学に沿った感染予防を

関東圏内各都県で、週末の不要不急の外出を控えてほしいとの活動自粛要請がありました。今後の推移はウイルス感染の広がりの程度を見守る以外にないのでしょうが、活動を行う場合にも、感染防止への最大限の配慮は必要だと思います。感染予防の基本は、こまめなうがいや手洗いにあると言われています。今回は、行動科学の知見から、手洗いを中心とした感染予防にいかにナッジ(Nudge)を活用していけばいいかについてまとめてみます。

考え方の基本は「人はあたりまえに非合理」

前回の記事でもお伝えしたように、「ナッジ」とは、人々の行動を「統制」するのではなく、より良いものへと「誘導」していこうとする考え方です。考え方の根底には「人々はあたりまえに非合理的な考え方や行動をとる」という人間観があります。日常私たちが人々の行動や意思決定について考えるとき、無意識のうちに、人は「おおむね論理的であり、あたりまえに『正しい』行動をとる」合理的なものと想定してしまいがちです。このような考え方に立った場合、そこから外れる行動や考え方は非合理的で正しくないものと理解し、規制や統制で排除するという判断をしてしまいます。

ナッジとは、それとは反対に、冷静で論理的な思考と行動を一貫して取り続ける人はそう多くはなく、ほとんどの人は自分自身にとって損であったり将来の痛みをともなうような合理的計算に基づかない思考や行動を、知らず知らずのうちに(または当たり前のように)とってしまう、と考えます。そして、そのような非合理的な行動のうちで、系統立って発生する理論的に予測可能なものを「意思決定バイアス」(または「行動バイアス」)と名付けるようになりました。現代の行動科学や社会科学では、実験的手法やアンケート調査、統計的手法などを駆使して、このようなバイアスが人々の行動の背後に数多く潜んでいることを探り出しました。ナッジは、そのようにして明らかにされた意思決定(行動)バイアスの存在を前提としながら、そのような人々の行動特性に寄り添った選択や意志決定の枠組みをつくることで、個人の生活や人生、社会全体をより良く豊かなものへと導いていこうというものです。

以下では、現在明らかにされている意思決定バイアスをいくつか紹介し、それを防疫(手洗い)行動に活かそうとする試みを紹介します。

バイアス1損失回避

これまで、人々が利益と損失を考慮するときには、両者に同じウェイトを置いて評価していると考えられてきました。例えば、100円の利益と100円の損失については、それぞれ同じ量の喜びと痛みが存在し、意思決定や行動の際に関わるそれらをすべて足し引きすることで選択をしていると考えられてきたのです。

ところが様々な研究を通して、実際には損失のような痛みをともなうものについて、喜びよりもより重視する傾向が明らかになりました。すなわち、人々が意思決定をする際、利益よりも損失に敏感に反応してそれをできるだけ避けようとする損失回避特性が存在することが明らかにされたのです。[1]

例えば、災害発生を知らせるメッセージと人々の避難意志との関係を示した研究では「避難が遅れることにより救援物資をもらえなくなる」というような損失局面を強調したメッセージが、避難の安全性を強調するメッセージよりも、人々の避難行動を明確に誘発することが示されています。[2]

バイアス2社会的関係の重視

人々が、一般的に思われている以上に、自分個人の利害関係だけでなく、周りの人々との関係や周囲の視線を意識するような向社会的な考え方や行動をとっていることも明らかになっています。防疫行動の事例としては、英国で20万人近くの人々を対象に行われた介入実験が有名です。[3]この実験では、高速道路サービスエリアのトイレで無線センサーを使用して、利用者の石鹸の使用有無と使用量をデータ化しました。そして、手洗いを奨励する掲示物の文言を様々に変えることで、石鹸の使用量がどのように変化するかについて、大規模な調査を行いました。その結果「となりの人は石鹸で手を洗っていますか」というような、周囲の人々の視線を意識させる掲示の場合、それがない場合に比べて、石鹸の使用量が10%以上も増加することが明らかにされました。

さきに紹介した災害メッセージに関する研究でも「あなたが避難しないと周りの人の命が危険にさらされる」という、周囲の人に与える被害を訴えるメッセージが、非常に高い避難誘発効果を持つことが明らかにされています。

ウイルス感染防止への適用

前回紹介した京都府宇治市の事例は、このような行動バイアスをウイルス感染防止に応用した先駆的な事例です。同市では、役所やスーパーでの手洗いを奨励するために、隣の人の手洗いを見守るようなポスターを作成し、その効果を統計的に検証しています。これは、社会的関係を重視する人々の行動特性を利用して防疫行動を誘発しようとするナッジの応用例です。また、手洗いを怠ることで周囲の人や家族に与える被害を強調する掲示も有効なはずです。

ほかにも、現在を将来よりも過大評価する「現在バイアス」や、今の状況(デフォルト)に引っ張られて行動を変えようとしない「現状維持バイアス」など、様々な認知上のバイアスが発見されています。「ナッジ」という言葉と検討したい行動や領域(例えば「コロナ」「手洗い」など)を合わせて検索すれば、ウェブ上から行動バイアスを利用したたくさんの良質な事例や解説を手に入れることができます。[4]それらも活用しながら、人々の特徴に寄り添ったスマートな防疫対策を心がけましょう。

次回からは、新型ウイルスの蔓延がマクロ経済におよぼす影響について整理していきます。


[1]この領域で大きな貢献を残したダニエル・カーネマン教授(米国)は、2002年にノーベル経済学賞を受賞しています。

[2] 「豪雨災害時の早期避難促進ナッジ」(大竹文雄ほか、RIETI-DP、2020年)

[3]Judah et al, “Experimental Pretesting of Hand-Washing Interventions in a Natural Setting,”  American Journal of Public Health, 2009.

[4]例えば、厚生労働省「受診率向上施策ハンドブック:明日から使えるナッジ理論」(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_04373.html)など

(朝鮮大学校経営学部准教授)

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