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リーグ優勝とJ2昇格に貢献/J3・FC琉球同胞選手、監督

2018年12月10日 17:05 スポーツ

沖縄に新たな歴史刻む

左から朴一圭選手、朴利基選手、金成純選手、金鍾成監督

2018年のJ3リーグでは沖縄のFC琉球がクラブ創立15年、J3参入5年目にして初めてJ3優勝とJ2昇格を果たした。通算成績は20勝6分6敗で勝ち点66。2位に勝ち点9差をつけ、J3史上最速のスピードで優勝テープを切った。チームには就任3年目の金鍾成監督(54)、主将の朴一圭選手(28、GK)、朴利基選手(26、MF)、金成純選手(22、MF)ら同胞たちが所属している。全員が朝高、朝大卒業生だ。沖縄の地で夢を追い求める彼らの歩みをたどった。(李永徳)

11月の那覇、照りつける太陽のもと半袖のシャツを汗で濡らしながら琉球新報と沖縄タイムスの本社を訪れた。優勝が決まった11月3日の第30節以降、各紙で組まれた連載や特集に目を通すためだ。優勝セレモニーの写真をのぞくと銀色のシャーレ(優勝皿)を掲げる朴一圭主将をはじめ歓喜に沸く選手たちが。その横には、喜びを噛みしめるように両手を突き上げる金監督の姿があった。

選手とハイタッチを交わす金鍾成監督©FC RYUKYU

金監督に話を聞くと、20年近い指導者人生の中で獲得したタイトルは今回で3つ目。残る2つは東京朝高の監督としてのぞんだ在日朝鮮学生中央体育大会での優勝だった。「重みを比べることはできないけど『1位』になれるのは嬉しいよね。みんなが目指しているわけだから」

金監督は朝高と朝大、FC琉球のアカデミー監督を経て、16年にトップチームの監督に就いた。新天地で掲げたのは、リスクを負ってでも攻める「3-1で勝つサッカー」。朝高時代から攻撃的なスタイルに変わりはない。

ところが加入2年目の朴利基選手の目には、朝大時代の恩師が「別人のように」映っていた。以前は選手たちに「ある程度の縛り」を課していたはずが、プロでは「個々の特徴を最大限に生かし、伸び伸びとプレーできるように自由を与えていた」(朴選手)からだ。金監督いわく、選手たちに求めた「積極性」を除けば戦術面のセオリーはなかったという。

ドリブルで持ち上がる朴利基選手

新指揮官のもとで朴利基選手の持ち味は徐々に引き出されていく。ボランチの位置で豊富な運動量を発揮し、時には思い切りのいい攻め上がりでゴール前へ。ハードワークで周囲の信頼を勝ち取ると16、17年シーズンは大半の試合に出場。主力へと成長を遂げた。

一方で、チームは16年に8位、17年に6位と昇格争いに絡めずにいた。16年の大刷新により連携面で欠陥があった、と言えばそれまでだが「選手たちの技術や意識の水準が高くなかった」(朴一圭選手)のも事実だった。

ゴールキーパーの朴選手はJ3の藤枝MYFCから加入した16年当時から、ある種の「使命感」を抱いていた。「年齢は上から数えて2番目(当時26歳)。自分が選手たちを引っ張るしかない」。何よりも自身のプレーでチームを牽引していこうと決意。定評のあるシュートストップで幾多のピンチを救うだけにとどまらず、ビルドアップやキャッチングから攻撃のスイッチを入れるなど朝高と朝大で指導を仰いだ金監督のサッカーを体現した。

迎えた今季、FC琉球はU23朝鮮代表の金成純選手ら即戦力を獲得する一方、自ら新主将についた朴一圭選手ら既存の選手たちを中心にして攻撃的スタイルを浸透させていく。歯車が噛み合うと6月から4カ月間にわたって無敗街道をまっしぐら。さらに上位チームとの連戦でも大勝を収めて独走態勢に入る。サポーターや県民たちの期待は日に日にふくらんでいく。勝てば優勝が決まる11月3日のホーム戦には今季最多の7810人のサポーターが集結。勝利が決まると会場は興奮のるつぼと化した。

優勝の喜びを分かち合う選手や監督、サポーターたち©FC RYUKYU

一歩でも前へ

最高潮に達した試合会場の雰囲気をよそに、優勝の瞬間をベンチで迎えた朴利基選手と金成純選手の胸のうちでは喜びと悔しさが交差していた。

フリーキックを蹴る金成純選手

プロ1年目の金成純選手は不慣れなサイドバックなどでの起用に応えられず、746分の出場にとどまった。朝大で背負った番号はエースナンバーの10番。U19、20、23の朝鮮代表として国際大会に出場したように実績は十分だ。しかし、いつまでも過去を振り返ってはいられない。金監督からかけられた「自分の殻を突き破れ」との言葉を胸に、「がむしゃらにサッカーと向き合って」いこうとしている金選手。「何がなんでも結果を残して存在価値を示したい」との決意には静かな闘志が滲んでいた。

朴利基選手は2試合で勝敗を左右する劇的弾を決めるなど随所に光る活躍を見せたが、度重なる負傷のため出場時間は575分のみ。「ピッチで躍動するチームメイトたちを目にしながら何度もどかしさを覚えたことか」。「現役生活のターニングポイント」とみなす来季には自身のすべてをぶつけようとしている。

そんな2人に対して、朝大サッカー部の先輩にあたる朴一圭選手はことあるごとに叱咤激励の言葉をかけてきたという。「次の世代に道を作るために貪欲に上を目指そう」と。

絶対的な守護神に君臨した朴一圭主将©FC RYUKYU

朴一圭選手は13年に所属したFCコリアで各地の同胞たちの愛情を肌で感じたと話す。だからこそ「同胞たちに夢と希望と感動を」というチームスローガンを今も心に掲げながら、さらなるステップアップを誓っている。今季自ら主将を務めた背景にも「自分にプレッシャーを与えて成長したい」との強い思いがあった。

同様に、金鍾成監督にとって現在地は「人生の頂」へと向かう通過点に過ぎない。

「死ぬまでに一歩でも前に進みたい。たとえ途中で歩みが途絶えたとしても後ろに続く人たちが自分を踏み越えて、さらに高いところに辿りついてくれるはずだから」

そう言いながら「最近になって明確な目標ができたんだよ」と笑みを浮かべた。

「2032年夏季五輪を北南朝鮮で共同開催するとなれば、その頃は68歳か。指導者として最高の時期じゃないか。代表チームの監督になれるかわからないけど、可能性を信じて挑戦してみたい」

彼らにとってもJ2は初めての舞台となる。それぞれの歴史に輝かしい1ページを刻めるか。2019年、新たな挑戦が始まる。

取材後紀

大阪出身の朴利基選手は、沖縄の地で「懐かしさ」を感じることがあるという。

「沖縄の人々はどこか在日同胞に似ている。大衆食堂のおばちゃんもウリサラムみたいで親しみやすい。時々『鶴橋』にいるようなアットホームな感覚を覚えることがある。バックグラウンドについて突っ込まれることはあまりなく、そういう点では居心地もいい」

FC琉球のサポーターたちに同胞選手や監督について話を聞くと、「国籍も人種も関係ない。みんな俺たちの仲間だ」と口をそろえ、ある言葉を教えてくれた。「イチャリバチョーデー」。沖縄の方言で「一度会ったら皆きょうだい」という意味を持つそうだ。

琉球王国時代から中国や日本、朝鮮さらに東南アジア諸国との交易を通じて、多種多様な文化が融合して形成された「チャンプルー文化」。沖縄サッカーの歴史もまた、「ウチナンチュ」(沖縄の人)や「ナイチャー」(内地出身者)、在日朝鮮人らが混然一体となって形作られている。

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