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各地朝鮮歌舞団、新入団員5人の夢

2015年09月16日 16:40 文化・歴史 主要ニュース

“笑いも涙も分かちあうこと”

今年、各地にある7つの朝鮮歌舞団のうち、東京、大阪、兵庫、東海に、5人のメンバーたちが新しく加わった。講習期間、ベテラン団員たちに負けまいと奮闘する彼女たちに思いを聞いた。

左から白槿実さん、宋春妃さん、厳香里さん、金咲蘭さん、秦愛里さん

左から白槿実さん、宋春妃さん、厳香里さん、金咲蘭さん、秦愛里さん

愛知朝高、朝大保育科を卒業し、東海朝鮮歌舞団に入団した金咲蘭さん(20)。

団員としての初ステージは母校で開かれたお花見だった。同胞たちが皆で民謡を歌い、「統一列車が走る」の歌に合わせ踊る光景は、「歌舞団員として幸せを感じた瞬間だった」と金さん。母や叔母が、それぞれ東海歌舞団の元歌手、舞踊手ということもあり、「家族から喝を入れられる時もある」と笑みを浮かべた。

「同胞たちのそばで、深く触れ合うこと、常に隣にいる歌舞団」を目指したいと話す金さんの瞳は輝いていた。

同じく東海朝鮮歌舞団に入団した厳香里さん(19)。

きっかけは、以前同歌舞団の団長だった鄭晃代さんから、学生時代に声楽の指導を受けたことだった。東海地域の同胞たちの間で、「晃代団長」と親しまれた元団長への憧れから入団を決めたという。

目標は、「歌舞団の厳香里」といつか言われるようになりたい、とキッパリ。

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東海朝鮮歌舞団の厳香里さん

幼稚園から高級部まで舞踊を続けたという大阪朝鮮歌舞団の秦愛里さん(18)。

高級部3年のとき、大阪朝高舞踊部の部長を務めていたという。

「私たちの踊りで何を伝えられるのだろう」と考えあぐねていたとき、舞踊の指導教員から「代々、引き継がれてきた大阪の舞踊の伝統を、次はあなたが引き継ぐ番ではないのか」と背中を押してもらったことが入団のきっかけになった。

入団前までは、舞踊を活かして「様々な舞台で活躍したい」と、ただ純粋にその舞台を思い描いていた秦さんだが、「いざ入団してみると舞踊だけではなく、団員たちが一人で何役もこなす姿に目を見張った。その瞬間、同胞社会の芸術文化を担っている歌舞団の役割の重要さに、気が引き締まる思いだった」と話した。

ある演奏会で歌舞団の公演を目にし、自分が元気をもらったと入団のきっかけを話すのは兵庫朝鮮歌舞団の宋春妃さん(19)。

「ベテランの舞踊手が退団し、そこに自分が入ったことに対するプレッシャーや不安でいっぱいだった」と入団当初を振り返った。

「先輩たちは舞台上では、これでもかと言うほどかっこいい。後輩が入ってきたら自分もそうありたい」と先輩団員たちに一日も早く追いつきたいという思いが、練習の原動力になっていると話す。

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講習4日目に行われた発表会

入団から5ヵ月。最も印象に残っている公演は、実習期間に訪ねたデイサービスでの公演。

「団長が歌うとき、笑い、時には涙するお年寄りたちがいた。歌舞団員として求められるものは、ただ技術や精神力だけではないと気づいた」と話した。

東京朝鮮歌舞団の白槿実さん(20)は、高級部までは舞踊部。歌の道に進んだのは朝大教育学部音楽科に入学してからだ。もともと朝鮮民謡を歌うことが好きだったという白さんは、「同胞たちが求める朝鮮の歌を歌えるのは、ウリサラム」と入団を決めた。

初めて立った舞台は、女性同盟東京都本部が主催した顧問会での公演。歌いはじめると、顧問たちが「自分の孫を見ているみたいだ、ありがとう」と涙ながらに声をかけてくれたという。それは白さんにとって、「やりがいを感じた大切な言葉」だった。

「同胞たちは常に見ている。見られる職業。けれど一番大切だと痛感したことは、舞台の上の自分を魅せることではなく、共に寄り添い共に感動を分かち合うこと」

今は何よりも同胞社会と接することの大切さを感じていると話す白さん。

「祖国が植民地だった時代、それに抵抗する運動のなかにも歌があったように、歌は時代と共に生きていくもの。歌手として同胞たちに歌い継がれていく歌を歌っていきたい」と意気込んだ。

(韓賢珠)

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