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〈特集・東学農民戦争から120年〉相次いだ殺戮命令と膨大な犠牲者/井上勝生

2014年10月15日 15:41 歴史

一瞬で山々を埋め尽くした白衣

連山の戦いで戦死した日本兵の忠魂碑。東学農民軍討伐専任大隊、ただ1人の戦死者(現・徳島県阿波市市場町香美)=筆者提供

連山の戦いで戦死した日本兵の忠魂碑。東学農民軍討伐専任大隊、ただ1人の戦死者(現・徳島県阿波市市場町香美)=筆者提供

今から120年前の10月、1894年の秋、日清戦争の平壌の激戦で辛うじて勝った日本軍は、鴨緑江を渡って清国領へ侵入していた。

今日本で、日清戦争は「日本と清国の戦争」と語られ、教えられている。しかし日清戦争の実像から大事な所が抜けてしまっている。

日本は、朝鮮王宮を軍隊で占領し、朝鮮を戦場にし、軍隊の輸送路にもした。武力で侵入した日本軍に対して東学農民を中心に、朝鮮民衆がいたるところで大軍となって戦っていた。全羅道、そして慶尚道、忠清道、京畿道、江原道、また北部の黄海道も、東学農民軍と日本軍の激しい戦場になったのである。

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