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〈取材ノート〉33年目の光州

2013年05月28日 16:50 コラム

取材ノート

33年前の1980年5月、南朝鮮の全羅南道光州市(現在は広域市)で繰り広げられた軍による民衆虐殺。死者、行方不明者、負傷者は数千人に上った。

現大統領の実父である「維新独裁者」の暗殺(1979年10月)を機に、全域で燎原(りょうげん)の炎のように燃え上がった反軍部独裁、民主化を求めるデモ。しかし、クーデターで実権を掌握した全斗煥を中心とした「新軍部」はこれを圧殺した。これに対し、光州では全南大の学生をはじめ市民らが武装して立ち上がった。「5.18光州民衆抗争」だ。新軍部は鎮圧の名の下に特殊部隊や戦争兵器をも投入した。

その作戦名は「華麗なる休暇」(화려한 휴가)だったと伝えられている。特殊訓練を受けた精鋭隊員にとって、一般人をなぶり殺すことは、「休暇」を楽しむようなものだったのだろうか。その発案に、鳥肌が立つ。虐殺に米国の関与を裏付ける資料が公開されているが、公的な責任を誰も取らず、裁かれることもない。

南では最近、ネット空間に広がった光州抗争と「北」を無理やり結び付けようとする言論が問題となっている。この「常識を超えた主張」(ハンギョレ新聞)は、南でも非難の声が高いが、その根にあるものを看過することはできない。

MBに続く保守政権。この5年、「北=悪」という露骨な対決政策が、光州の歴史の偽造を生み出した。しかし抗争から33年目を迎えて行われた市民主催のイベント(「政府イベント」ではない)には、「統一」の二文字が掲げられた。当時も今も、民衆はだまされない。(茂)

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