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遺骨問題、発生の根源は過去の侵略史

2012年09月06日 16:30 共和国

“日本に課せられた責務”

【清津発=金志永】第2次世界大戦の終戦を前後した時期、朝鮮で死亡した日本人の遺骨問題が朝・日間の懸案のひとつとして浮上している。この問題と関連して朝・日赤十字会談、外務省の課長級協議が行われ、今後、局長級に格上げされた協議が開かれる見通し。一方、8月末からは日本人遺骨の収集、墓参を目指す「全国清津会」のメンバーが訪朝し、朝鮮側の案内で現地調査を行った。

「全国清津会」のメンバー(写真:金志永記者)

50年代から提起

両国の対立関係が続く中、朝鮮側が遺骨の発掘に関する現状を日本に通知する過程には「いくつかの、めぐまれたタイミングの一致があった」(朝・日交流協会関係者)。朝鮮側関係者の対応を見る限り、日本側が遺骨に関する人道問題を他の問題と絡め障害をつくるならば、問題解決の好機を逸することになりかねない。

遺骨の収集や墓参は以前から日本側が提起してきた問題だ。1950年代後半、朝・日の赤十字団体が在日朝鮮人の帰国問題を協議した際にも関心が示された。当時、平壌で行われた会談に参加した日本側関係者が万景台区域・竜山にある日本人墓地を訪れている。90年代に訪朝した日本の超党派代表団もこの問題を取り上げていた。

2002年、小泉総理が訪朝し、朝・日平壌宣言が発表された時も遺骨問題の提起があった。しかし国交正常化に関する首脳合意は日本側によって反故にされ、何ら進展を見なかった。

朝鮮国内では以前から各地で住民などによる遺骨の発見が報告されていた。それは国家機関にまで届かず、地元で処理されるケースが多かったという。遺骨を日本人のものと断定する本格的な調査が行われることもなかった。

日本との関係が悪化している時期に、朝鮮国内で日本人遺骨の調査を積極的に進めようとする気運が起きるはずもない。もし対日交渉の窓口である外務省が意欲を持ったとしても、全国規模での調査を指示する権限までは与えられていない。個別機関の努力には限界があるということだ。とくに所在が確認されていない日本人の遺骨問題は、国家レベルの事業方針が示されない限り、具体的な進展は望めない。

日本軍捕虜の収容所があった古茂山の風景(写真:金志永記者)

軍人建設者が発見

昨年来、朝鮮国内では社会科学院・歴史研究所が中心となり日本人遺骨の発掘、調査が行われている。道路建設が行われていた咸鏡南道の咸州郡・富坪で遺骨が発見されたのがきっかけだった。

建設には人民軍部隊が動員されていた。軍人建設者の発見は上層部に随時報告され、現地調査の措置が取るられた。一般住民が発見した場合とは異なる展開となった。

歴史研究所が調査の依頼を受けたのは一昨年の11月。朝・日関係史を専攻する曺喜勝所長(60)は近年、いみじくも戦中・ 戦後、朝鮮にあった日本人墓地や捕虜収容所に関する資料を研究していた。曺所長らは、遺骨が発掘された富坪の現場を調べ、当時を知る高齢者から日本人の集団埋葬についての証言を得た。それらの調査資料は、国内の該当部門に伝えれれたという。

その後、富坪の調査資料を見た朝・日交流協会から歴史研究所に対して共同調査の依頼があった。曺所長らは平壌市内の竜山、大院里(旧・三合里)や咸鏡南道の咸興市、咸鏡北道の富寧郡・古茂山で独自の調査を行い、遺骨を発見した。今回、訪朝した「全国清津会」のメンバーはこれらの場所を見て回った。

曺所長によると、墓地や捕虜収容所の文献資料があっても、遺骨の所在を確認する作業は「困難を極める」という。50年代に日本人が訪れた竜山墓地の場合、その後、2度にわたり埋葬地が移され、現在は墓石もない。

また、ソ連軍の捕虜となり死亡した軍人の遺骨を探そうとしても、埋葬区域への立ち入りが制限されることがある。ソ連軍は、朝鮮で旧日本軍の施設を占拠し、司令部や捕虜収容所として利用した。日本軍捕虜が収容所で死亡し埋葬されても、その敷地がソ連軍撤退後、朝鮮人民軍に移管された場合、一般の敷地のように自由に発掘作業を進めることができない。旧関東軍の将校が埋葬されているとされる大院里の墓地などが、それに該当する。

埋葬後、読経する宮本円明住職(写真:金志永記者)

国家事業への転換

建設現場での遺骨発見が発端となり、朝鮮側が歴史研究所の調査資料を日本側に通報することになった経緯には、偶然的要素が重なっている。日本の厚生労働省によると、朝鮮での戦没者は3万4,600人、引揚者が持ち帰れなかった遺骨は2万1,600柱とされているが、曺所長は「自分たちは、あくまでも調査の第一歩を踏み出したに過ぎない」と指摘する。歴史研究所の活動範囲は限られており「本格的な調査のためには国家的事業への転換が不可欠」というのが研究者としての立場だ。今回、「全国清津会」メンバーの受け入れ窓口となった朝・日交流協会も同様の見解を示している。

朝・日の政府間協議で、さらなる現地調査に基づく遺骨の収集や墓参の道筋が示されるかどうかは問題の当事者である日本側の態度にかかっているといえよう。現状は楽観的とはいえない。「北朝鮮がここにきて遺骨問題を持ち出してきたのは『拉致はずし』、『経済支援獲得』の思惑がある」というマスコミ報道のレトリックは、問題の本質を隠し、遺骨問題を「政治化」させるものだ。

「全国清津会」のメンバーに同行して古茂山の遺骨発掘現場を訪れた日本の記者たちは、地元住民に「日本人の遺骨は日本に返還されるべきか」と質問した。

住民は、「それは日本人が決めること」と答えた。そして、祖国解放直後に起きた浮島丸沈没事件を引き合いに出し「朝鮮には遺骨を捜したくても探せない遺族もいる」と声を荒げた。日本人が朝鮮で死亡し、その遺骨問題が未解決の問題として残されている根本原因は、いまだ清算されない日帝の朝鮮侵略・植民地支配の歴史にある。それは「拉致はずし」のための「カード」として突然、浮上した問題ではない。

どのような経緯であれ、朝鮮側は、確認された遺骨の資料を隠さず日本側にそのまま通報した。朝鮮外務省関係者は「政治的対立があっても人道問題は解決されるべき。我々は誠意を示したに過ぎない」との見解を示した。遺骨問題は日本が過去の歴史を直視し、政府が責任を持って解決すべき問題だ。それを拉致問題追及の「口実」とし、無理難題を持ち出すなら、朝鮮側がこの問題にこだわる理由はない。

(朝鮮新報)

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