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〈人物で見る日本の朝鮮観〉夏目漱石

2005年03月02日 00:00 文化・歴史

夏目漱石(1867~1916、本名金之助)は小説家として近代日本文学中の最高峰である。英語教師、英文学者として、一部の人にしかその存在を知られなかった夏目漱石が1905(明治38)年、俳誌「ホトトギス」に「吾輩は猫である」を発表し、一躍、作家として名声を博すようになる。そして、翌年、松山中学時代の体験にもとづく「坊っちゃん」や「草枕」などを書いて、当時、文壇で支配的であった自然主義文学と対峙する存在としての高みに立つ。その漱石の朝鮮観をかいま見ることにする。

時は、朝鮮植民地化過程期の完成期である。漱石は、慶応3年、今の新宿区牛込で、父小兵衛、母千枝(後妻)との間の、五男三女の末っ子として生れた。家は代々町奉行支配下の町方名主である。漱石は生れて間もなく、里子や養子に出され、幼くして、世の非情を体験として学んだ。

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