1392年7月、高麗の恭譲王(コンヤンワン)を退位させた李成桂(リ・ソンゲ)は、自ら王位に就いて国号を「朝鮮」と改め、その翌年、首都を開城(ケソン)から漢陽(ハニャン)へと移した。
以来約500年、朝鮮王朝(李朝)は儒教的統治理念に基づく封建支配体制を維持したが、姓氏を持つというすう勢はさらに加速されていった。
それはまず、李朝政府が初期から積極的な良人(リャンイン)拡大政策をとり、前代には最下層の身分であった奴婢(ノビ)らも良人層に含めていく施策をとったからである。
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