南北がひとつにつながった日 / 高賛侑


全民族の熱い想いによって溶けはじめた氷の壁

2000年6月13日、歴史は永久にこの日を記憶するだろう。平壌空港に降り立つ金大中大統領。笑みを浮かべて迎える金正日総書記。両手で固く交わされる握手。その瞬間、全朝鮮が感動のるつぼと化し、全世界が祝福の拍手を送った。翌14日、両首脳は歴史的な南北共同宣言に署名し、握り合った手を高々と掲げた。思想・信条の差を越え、北と南がひとつにつながったことを誇示するかのように。

統一を渇望する人々を取材して

私は以前、朝鮮関係の情報誌「サンボン(相逢)」と「ミレ(未来)」の編集長をつとめて以後、少なからぬ同胞の喜怒哀楽を取材してきた。いま脳裏には、祖国統一を渇望してやまない人々の顔が走馬灯のごとく甦る。なかでも鮮明に思い出されるのは、1985年8月、ユニバーシアード神戸大会が開催されたときの体験である。

大会が迫った頃、出張で上京した私は、知人からある提案を受けた。「今度の神戸大会には南北から選手団が参加する。そのとき同じ民族の立場から、南北双方を応援することはできないものか」と。

頭を殴られたようなショックをおぼえた。自分も含め、在日同胞は口では「統一」と言っていながら、スポーツとなると南・北を応援していたのではなかったか。

私は大阪に戻ると、ただちに友人たちに呼びかけた。学生を中心に、たちまち有志が集まり、「南北選手団を共に応援する会」が発足した。朝鮮半島をデザイン化した共同応援旗が5,000本製作された。この新しい発想にマスコミが飛びつき、大々的に報道された。

大会が始まると、私たちは競技場に駆けつけ、同胞たちに旗を配った。すると喜んで受け取ってくれる人もいる半面、そっぽを向く人も少なくなかった。

大会では南北選手が大健闘し、同胞のボルテージも上がったが、共同応援旗の反響は一定程度にとどまった。ところがこの発想は予想外の展開につながっていった。

1991年3月、札幌ユニバーシアード冬季競技大会が開催されたとき、総聯と民団は初めて南北選手団を共同で応援することに合意した。同胞たちは手に手に統一旗を持ち、「ファニョン(歓迎)、ファニョン」の大合唱で南北双方の選手にエールを送ったのである。クライマックスはその1ヵ月後、千葉・幕張メッセで開かれた第41回世界卓球選手権大会だった。史上初の「コリア」卓球統一チームが組まれ、総聯・民団は組織をあげて共同応援に立ち上がった。

会場では大小多数の応援旗が振られ、「アリラン」と「われらの願い」の歌声が響きわたった。大声援を浴びた統一チームは快進撃をつづけた。そして女子団体で宿敵の中国をくだし劇的な優勝に輝いたのである。応援団員は立場を超えて抱き合い、歓喜の涙にむせた。

光彩を放つ南北共同宣言

あの日以来、在日同胞を1つに結びつける感動のシーンは久しくなかった。しかし今、暗やみにつつまれた山頂でモルゲンロート(日の出)を迎えたように、南北共同宣言がまばゆい光彩を放ちはじめた。離散家族の再会、経済協力、文化・スポーツ交流…そしてその先に見えるのは統一祖国である。

10余年前、東西ドイツを隔てたベルリンの壁は、人々のハンマーによって打ち壊された。しかし朝鮮では、南北を遮る氷の壁が全民族の熱い想いによって溶けはじめた。氷の壁がいつ消え去るのか、それはひとえに同胞の熱情いかんにかかっているのである。

(ジャーナリスト、大阪市在住)